新しい時代

ケアプラザやさくら苑など、 一連の施設で開く催しものを企画し、手配し、実行する。最近いちばん楽しかったのはジ ャズコンサートだったという。出演依頼から広告作成、会場設定など、すべてを取り仕切 った。またデイサービスに通う高齢者を動物園やピクニック、回転寿司に連れていくなど、日常的なイベント設定にもアイデアが尽きない。 また単にデスクワ lクやディレクションだけをこなしているわけではなく、時間の許す限りお年寄りと按し、デイサービスセンターに通う人たちの送迎車も運転する。木村さんは施設長の補佐・代理も勤めており、さらに月にはスタッフを対象とした介護技術訓練を行って、心身両面でのケアに関する学習を指導している。 「今、いちばんの悩みは、デイサービスのご利用者たちと直接触れ合う時間が短いことですね」。介護支援専門員の資格をとってからは、仕事の比重が要介護認定の調査に移りつつある木村さんだが、福祉の原点である「思いやり』『笑顔』『心づかい』だけは忘れないでいた  いという。 「将来は一施設の責任者となって、私なりの福祉の理想を実現してみたい」。 木村さんが独自に研究してきたノウハウ、たとえば痴呆を持つ人との接し方や、施設運営に関する技術などは徐々に後輩たちに受け渡し、自分は「次の何か」をつかもうと努めているのである。 「介護保険が始まれば、施設は企業としての感覚も求められるでしょう。古い福祉の時代は終わり、専門性の高いプロが新しい時代を担っていくはずです。

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影響を受けた本

影響を受けた人は大勢いますよ。マザ  『死ぬ瞬間』などの本を書いたエリザベス・キューブラ 1・ロスとか。でもいちばん尊敬 しているのは父でしょう。今年(鈎年)の 6月に亡くなったばかりなんですが、脳硬塞で半身マヒとなり、 5年ほど介護が必要でした。モルヒネ注射から身のまわりの世話まで、介護の一切を実地に勉強させてもらいましたよ(笑)。自宅での終末介護ですね。そして 『じゃあまたな」と笑顔で僕を送り出してくれた翌日に息をひきとった。最後まで尊厳を失わなかったし、福祉の原点を身をもって教えてくれた人でした」。 介護には「する介護」「見守る介護」「してもらう介護」があるという。今までの日本には「する介護」しかなかった。困っている人を助けてあげるという、上からの視点で見おろす福祉だ。しかし木村さんは早くからその在り方に疑問を持っており、介護者と要介護者が平等の関係で関わり合う福祉を模索していたのである。 「『パカにするな!』っていう叫ぴは、すべてを象徴していたと思うんです」。木村さんにとって最も悲しかったこの経験は、人を人として扱えなかった自分への怒りに彩られている。一方、最も楽しかったことは「お年寄りの笑顔」だという。過去の特別  な思い出ではなく、毎日の生活が生き生きと充実している、あるいは穏やかに幸福である、その表現として現在進行形で続いていく笑顔こそが、最高の楽しさだというのである。木村さんの仕事ぷりは、実にパワフルでクリエイティプだ。

出典:介護職員初任者研修 最安

福祉の仕事への興味

秀般会が機浜市の委託を受けて日I 井地ケアプラザを開散すると ともに移錨。 タスあ食歩スンピ佃輔の畳敵ピ一確理と査と理と理テサ料処者調者処者 「この仕事に就いてまもないころのことなんですが、からだが不自由で、手も動かず、口数もほとんどない男性がいました。食事介護のとき、ふとわき見しながらスプーンを運んだんですが、どなられました。『パカにするな!』って」。 木村さんは新米のころのこの失敗を、今でも強烈に心に刻んでいる。 秀峰会が運営する 6つの施設のうち、横浜市の委託を受けて悌年 4月に開設された「川井地域ケアプラザ」は、高齢者施設としてのデイサービスセンターの他にも、地域住民の交流の場としての役割を担っている。 木村さんはここで、生活指導員の仕事をしている。大学を卒業後、専門学校で福祉を学び、 4カ所の特別養護老人ホ lムを経験したのち、桜井氏の理念に共感して開設と共にこの施設に移ってきた。 木村さんが福祉の世界に入ったきっかけは、大学でたまたま手話サークルに入ったこと である。そこで木村さんは「関東手話通訳者連絡会議」という組織を旗揚げする。今はもう解消しているが、この組織から育った人の中には の手話ニュースで活躍するなど、聴覚障害者への理解を深めてきた人が数多くいるという。 「学生時代にさまざまな障害を持つ方と出会う中で、物を作ったり売り込んだりするの ではなく、人の役に立ってしかも自分の生きがいになるような仕事はないかと考え、福祉 の仕事に興味を持ち始めました。

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人間関係をあきらめない持久力

最近の若者は人とのつきあい方を知らない、とよくいわれるが、心をさらけ出して人と向き合う勇気、イヤなことがあっても人間関係をあきらめない持久力:::安井さんと話をしていると「うん、まだ大丈夫」と、妙に安心してしまうのであった。 生活指導員の仕事は実に幅広い。利用・入所者の相談に乗ったり、利用希望者の手続きをとったり、家族との連絡、行事の手配、外部への広報活動、ボランティアの技術指導はじめ他の職員とのコミュニケーションはもちろん、医療機関や福祉事務所など外部との連絡も密接にとる。要するに企画・調査・事務など一切の仕事をこなすのである。デスクワ lクの能力だけでなく、軽いフットワークや情報収集力も必要だ。 生活指導員の職場には、老人福祉施設と、障害者施設、生活保護施設などがあるが、いずれも相談・指導・援助など行う。「ソ シャルワ カ 」「ケースワーカー」といえば、普通はこの仕事を指している。 生活指導員になるには特別な資格は必要ない。しかし大学で指定科目を履修する「社会福祉主事」という任用資格を持っていると、就職の際には有利だろう。ちなみに次に紹介 する木村さんはこの資格を含めて 3つの福祉資格を持っているが、いずれも大学ではなく、専門学校で勉強したり、仕事をしながら取得したものである。 1962年青森県生れ。大学では経済学を専攻。手伝サーヲルに入ったことがきっ か付となり、卒業後 l;t専門学校で福祉を勉強する。

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福祉職に向いている人

そんなことは凶年前にも一部の人が言っていたことなんですが::やっと最近になって広がってきただけのことです。福祉職に向いている人ですか?事務職なら神経を研ぎ澄ませることも必要ですが、基本的には楽観的な人がいいと思いますよ。いずれにしても、福祉の仕事は自分自身を見つめることができ、人間性を高めることのできる仕事です。たくさんの人に挑戦してほしいですね」。 取材が終わった夜、施設内のひと気もまばらになったころ、かねてから進めていたカナダ先住民の子供たちとの交流会準備に不測の事態が発生し、木村さんはあわただしく施設を飛び出していった。  生命保険文化センターが鈎年に叩  歳の男女4217人を対象とした調査によると、 自分または子供の家で介護を受けたいと答えた人は、特別な対応として1%を占めている。一般に、高 齢になるほど在宅介護を望む傾向が高いことを考えれば、現在のお年寄りの大半は住み慣れた自宅での介護を希望していることになる。 ホームヘルパ は介護を待つ人の家を訪問し、身のまわりの世話をする。食事や着替え、 排池、入浴などを手伝うだけでなく、掃除、洗濯、買い物、料理などの一般的な家事を代 行したり、要介護者の話し相手になるなど、施設内が仕事場となるケアワ カ!とはまた 異なる方法でその人の生活に密着する。生活の癖や習慣、好き嫌いの価値観など、相手の 人生をそのまま尊重し、それを支援する仕事といえるだろう。

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